1967年(昭和42年)|安曇野市豊科生れ(飯田区)
豊科南小学校→豊科中学校→松本県ヶ丘高校→同志社大学法学部
1990年|在カタール国日本国大使館派遣員
1994年|(株)ヤオハンジャパン入社
1995年|羽田コンクリート工業(株)入社
2011年|造園業就業
2017年|合同会社そのたす 設立
2023年|飯田区長(現在も総務部長として在籍中)
参政党長野第2支部支部長(2022.9〜現在)、前・飯田区長(自治会長)、飯田環境保全会役員、保護司、安曇野ふるさとづくり応援団など、ボランティア活動も多数
職業|合同会社そのたす 代表社員
家族|妻、長男、次男、父
自分の性格を一言で|猪突猛進、ただし温厚
趣味|ドラム演奏(ジャズ)ウェイン・ショーターが好き
安曇野市で「後援会の発足会」が行われました。
党員以外の方も多数お越しくださり、会場は立ち見が出るほどの賑わいで40名以上集まっていただきました。
木船さんへの思いがこもった地元の後援会長からのご挨拶に続き、松本市会議員からのエールがありました。
こうした横のつながりも心強い限りです。
会場に集った皆さんからは、率直な意見も飛び出しましたが、木船さんは終始にこやかに、しかも的確に応答。誰もが頼もしさを感じたのではないでしょうか。
締めくくりのスピーチでは、木船さんの力強い一言がまるで花火のラストを飾る大玉のように、会場からは拍手と笑顔が一斉に広がりました。遠方から多くの党員さんも駆けつけてくださり、発足会は大成功。これからの戦いに向けて、「トップ当選を目指して」いよいよ大きな船出をしたと言えるでしょう。
県連広報部より
はじめまして。木船潤一と申します。私は政治に人一倍興味のある一介の市民ですが、だからこそ、これまでの多様な経験を通して得た幅広い視点を強みに、新しい風を吹き込みたいと考えています。
幼いころに抱えていた対人恐怖を克服した今、人の痛みや不安を敏感に感じ取る力が備わりました。対立をあおるのではなく、人と人の間に橋をかけ調和をつくり出す、それが私の強みです。
強引に押し通すよりも、弱い立場の人に寄り添い、共に立ち上がる。それは「人を思いやる力」であり、「誰も独りにしない社会」を築くための原動力です。
私にとって政治家として活動することは、自分の枠を広げる新しい挑戦であり、大きな飛躍の機会だと感じています。
私は街頭に立ち、旗を掲げ、時に常識とされてきたことに勇気をもって異を唱えます。それは恐れを超えた挑戦であり、本気で日本らしい社会を守りたいという情熱と決意です。
木船潤一
かつて隣組の支え合いに胸を打たれました。しかしこの20年で、家族葬化やPTA解散、部活動外部化、遊具撤去、子どもへの声かけ忌避など、地域の結び目がほどけています。
80年前の敗戦から始まった日本社会の急変を見直す時です。そして自治体運営を筆頭に日本社会の連帯をつなぎ直し、生まれ育った安曇野から日本を再生したいと思ったからです。